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1人目・マノエル=トビアス (ブラジル)
Manoel Tobias da Cruz Filho
1971年4月19日 Salgueiro (Pernambuco) に生まれる。
数々のタイトルを手中に収め、世界最高のプレーヤーと呼ばれる。
【写真・2001年来日時のビデオ撮影時のひとコマ(会場・ミズノフットサルプラザ二子玉川】 |
【第1回】 特別編 第3回 第2回
マノエル=トビアス選手のフットサル選手としての経歴。
| タイトル名 |
大会名 |
年 |
| 世界最優秀選手 |
スペイン世界選手権 |
1996 |
| 世界選手権最多ゴール(14ゴール) |
スペイン世界選手権 |
1996 |
| 最多ゴール数千種 |
シンガポール国際大会 |
1999 |
| 最優秀選手 |
リーガナショナル |
1999 |
| 最多ゴール |
リーガナショナル |
1999 |
| 世界最優秀選手 |
グアテマラ世界選手権 |
2000 |
| 世界選手権最多ゴール(19ゴール) |
グアテマラ世界選手権 |
2000 |
| 香港世界選手権 |
ブラジル代表 |
1992 |
| スペイン世界選手権 |
ブラジル代表 |
1996 |
| リオカップ(国際大会) |
ブラジル代表 |
1997 |
| コパ・アメリカ |
ブラジル代表 |
1997 |
| リーガナショナル |
Atletico Mineiro |
1999 |
| シンガポール国際大会 |
ブラジル代表 |
1999 |
| リーガナショナル |
Vasco |
2000 |
| グアテマラ世界選手権 |
ブラジル代表 |
2000 |
| コパ・フィアット |
Malwee |
2001 |
恐らくこのフットサルキャリアを上回る選手は、現在地球上に存在しないだろう。
現在サンタカタリーナ州の「Malwee」(マウビー)に所属する(2002年6月現在)、フットサルの世界のスーパースター「マノエル=トビアス」選手に数々の質問をぶつけました。
Q1.小さい頃のことについて:
いつからボールを蹴り始めました?サッカーでの経験については?
A1.ブラジルの子供たちみんなと同じように、私も小さい頃、勉強もし始めていない頃からボールを追いかけていました。私のスポーツ・キャリアとしての初めてのチャンスは1984年にやってきました。
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| 2001年10月のフットサルフェスタで、元プロサッカー選手のラモスと試合後に話をするマノエル(右) |
それは私が13歳の時、学校で先生が私のカテゴリーのフットサルチームを持っていて回ってきたチャンスでした。お陰様で、そこから全て上手くいってきました。私がサッカーに移行したことについては、決定的で、とてもよいことでした。
と言うのも、私は「人間」として「選手」として大きく成長し、主に、私が常に好きだったスポーツ、つまりフットサルを神が私に指し示したと言うことを確信していたからです。なぜなら、自分が好きなことに専念する、というのがとても大事だと思うからです。
Q2.最終的にフットサルを選んだ大きな理由とは?
A2.既に言いましたように、私は常にフットサルをプレーするのが好きでした。子供の時には2つのスポーツ(フットサルとサッカー)を同時にしていたわけですが、フットサルに対する情熱は、常にサッカーより大きかったのです。
フットサルは本当に魅力的なスポーツで、試合の最初の瞬間から最後の瞬間まで感動(感激)があり、みんなの注意を引くスポーツです。それこそが私の選択の大きい理由です。そして、お陰様で最良の選択をしたという確信を持つ事ができるようになりました。
Q3.所属した各チームでの思い出について
A3.私がプレーした全てのチームでの思い出はたくさんあり、慈しみ(愛情)と敬意を込めて胸にしまっています。まず最初に強調したいのは、チームの仲間達の助け無しには、今日私がいるところへは決して到達することは出来なかった、ということです。
なぜなら、誰も一人では試合に勝つことも、何かを得ることもできないからです。
私がプレーしたチームそれぞれで、違う経験がありました。最初のチームはペルナンブッコ州レシーフェ市の Votorantim でしたが、そこで私のフットサルキャリアの扉が開かれました。
2番目のチームはセアラ州の Banfort。決定的となる経験をし、そこでチームに対して最善を実現しないといけないということを学びました。
スター選手としてチームに呼ばれた3番目のチームはパラナ州の Inpacel では、自己確認の時期を過ごし、出現する責任からは決して逃げてはいけないということを学びました。
4番目のチームはリオ・グランデ・ド・スール州カシアス・ド・スール市の Enxuta で、そこでは名声におぼれないようにするということを覚えました。実際には、選手としての円熟の始まりでした。
5つ目のチームはリオ・グランデ・ド・スール州ポルト・アレグレ市の Internacional。私にとっては、大組織サポーターのチームとしての初めての経験でした。伝統のクラブチームのあのサポーターが私のプレーを認めてくれているのを見るのは感動的でした。
6つ目のチームも私にとって衝撃的なチームでした。ミナス・ジェイライス州ベロ・オリゾンテ市の Atletico Mineiro です。Inter(Internacional)も伝統のクラブチームですが、「GALO」(Atletico Mineiroのマスコットで、チームやサポーターの愛称)では、これまでとは違うことが起こりました。
ユニフォームに対する情熱(愛情)の問題だったのです。そこでは、リーガナショナルの決勝戦で、体育館が2万7千人の観衆で埋め尽くされるという記録を作ったのです。
7番目のチーム、リオ・デ・ジャネイロ州の Vasco da Gama では、私のフットサルが非常に有名になったのは、このチームでのことです。
そして、今は現所属チーム、サンタカタリーナ州の Malwee でプレーをしています。神が私たちの人生にもたらした新たな挑戦です。ですから、ここ Malwee で経験として起こることの全ての瞬間までも、私は楽しんでいます。このチームでも、ある挑戦がなされているわけですが、それは以上に挙げた全てのチームにおいて、私は全ての大会で優勝することが出来、ここでもまた、数々の優勝できるように戦って(奮闘して)いるからです。
(つづく)
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