序に代えて
「どうぞ・・・」
フットサルを習いにブラジルまで行きたいので2週間の休みをくれと、明らかに常軌を逸した申し出をした私に、チームメイトでもある編集長は、表情に哀れみさえ漂わせながらそんな答え方をした。
話をより具体的にするために、私の"フットサル履歴書"とでもいうべきものを、はばかりながら紹介させていただこう。
- サッカー原体験は、小学校2年のとき、ペレ在籍時のニューヨーク・コスモスのゲームをテレビで見たこと。
- 学校のサッカー部には、小学校5年〜高校2年途中まで在籍。小学〜大学一貫教育の私立校で、サッカー部は弱かった。とくに小学校時代は半永久的に草サッカーに興じ、後年の"草体質"の元となる。小〜中学時代のアイドルは、ケンペス、和司、マラドーナ、リトバルスキ、プラティニ、ジーコら。
- 中学時代は主将を経験。高2で部活をドロップアウトしてからおよそ10年間は、純然たる文系人間として、サッカーから意識的に離れて過ごす。Jリーグ元年も、ドーハの悲劇も、かなり「他人事」だった。
- パソコン誌編集部で編集者となる。29歳のとき、他誌編集部とサッカー対抗試合をし、完敗するが、これを機にサッカー熱が再燃する。職場でつくったチームの幹事として、コンピューター業界のサッカー好きたちとともに、『アキバフットサルリーグ』の立ち上げに参加。このころの技術・体力は、長年のブランクで完全に「初期化」されていた。
- '99年、フットサルネットのレポートなどをたよりに第7回東京フットサルフェスティバルを観戦し、衝撃を受ける。同日、トビアスを擁するA・ミネイロのゲームも見る。
- アキバリーグ選抜チームを引き連れて2000年度全日本選手権施設予選に出場。1勝もできずに予選敗退。
- 2000年秋、アスキー『ラジ@』http://www.radiat.net/にて、『フットサルチャンネル"KICK IN!"』を立ち上げる。パーソナリティーは山戸一純氏。同じ時期、スーパーリーグ2000に、ボランティアスタッフとして参加。
少々長くなりすぎたが、まぁ要するに、細部を除けば、よくいる"草フットサルチームの幹事さんタイプ"ということになろう。草チームの幹事さんの多くは、周囲の者がとてもついて来られないほどに熱心なものだ。こうした度を超した愛好家の熱意が、どこから来てどこへ行くのか――この問題に、私は興味を持たざるをえない。それというのも、当の私が、ブラジルまで出かけていくハメに至ったからだ。
むしろ動機は「外」から与えられたものだったと言うべきかもしれない。『JALで行く ブラジルフットサル王国体感ツアー』と題されたパック旅行の告知が、このFutsalNetや『フットサルマガジン"ピヴォ!"』誌に掲載されたのが確か11月ころだったと思う。
それは、私のような素人にとっては、ある意味とてつもないツアーだった。しだいにツアーの概要が明らかになるにしたがい、正直、腰骨の各節のすわりが悪くなるような心地がしてきた。"サンパウロ州フットサル連盟公認指導者講習会"と称してブラジルのセレソン監督、バンデル・ヤコビーノ氏にフットサルを習うことができる、ファルカン(現在パルメイラスでサッカー選手としてのテストを受けているようだが)のいるバネスパと試合ができる……それも、金さえ払えば「資格を問わずに」である。
「これは、消費文明のなれの果て……とてつもなくブルジョワ的で退廃的な金の使い方ではないだろうか?」−−実を言えば、そうした懸念は確かにあった。しかし、ブラジルが私に及ぼしていた引力は思いのほか強く、「一般的な政治的関心」など問題にはならなかった。
そもそもこのツアーを一般向けに告知したこと自体が主催者側の判断の誤りかもしれなかったが、その誤りに乗じてしまいたいという気になるのにも、そう多くの時間はかからなかった。あの木暮賢一郎をして、「ブラジルに行く前のプレーは、(恥かしくて)人に見せたくないです・・・」と言わしめたブラジルへ……。
結局のところ、私自身の内面が納得しうるようなブラジル行きの動機、私の行動そのものの「源泉」はなんなのか? この問いに対し、ブラジル滞在期間中になんらかの答えを見つける−−それを、とりあえずのテーマとしよう。この動機の姿が見えれば、おのずとより大きな問いにも輪郭が与えられるだろう……。
明日以降、フットサルネットに寄稿を予定している覚書に、なにが書かれるのか予測はつきかねるし、フットサルネットのユーザーがもっとも必要としていると思しきブラジル式のフットサル技術・戦術に関する情報を伝えきれるかどうかも、はっきり申し上げて心もとない。さらに、場合によってはひどくグロテスクな挿話を提供することになる可能性さえある。とはいえ、私の境遇となんらかの共通点をもち、やむことのない渇望感にさいなまれ続けている読者にしばしお付き合いいただき、暇つぶしの種にでもしていただければ幸いだ。
(2001年2月27日) |