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第4回 アポ無しブラジル紀行・リオ編-2

フットサルネットには12年間の歴史があります。09年4月にリニューアルしましたが、まだまだ過去記事の新サイトへの取り込むが完了していません。そこで、これから毎週末にいくつかの記事を紹介しながら、順次新サイト取り込みをやっていこう、とそういう企画です。週末にゆっくりと当時を振り返ってお楽しみください!尚、旧記事内の肩書き等は全て執筆当時のものをそのまま使用しております。

- 連載の紹介 - (2000.4.20.収録)

今ブラジルと言えば CASCAVEL と ASPA FC の遠征旅行を思い浮かべる読者の方も多いだろう。しかし、本号から数回のスポット連載で紹介する「ブラジル旅行記」はそれとは全く異なる視点でブラジルの今を捉えたルポだ。日本サッカー協会公認準指導員という筆者が見た草の根ブラジルフットサル(サッカー)事情。フットサルを通して見た生のブラジルを感じて頂きたい!!

藤沢市サッカー協会フットサル委員会 小野直樹

<リオデジャネイロ編 -2>

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第3回 アポ無しブラジル紀行・リオ編-1

フットサルネットには12年間の歴史があります。09年4月にリニューアルしましたが、まだまだ過去記事の新サイトへの取り込むが完了していません。そこで、これから毎週末にいくつかの記事を紹介しながら、順次新サイト取り込みをやっていこう、とそういう企画です。週末にゆっくりと当時を振り返ってお楽しみください!尚、旧記事内の肩書き等は全て執筆当時のものをそのまま使用しております。

- 連載の紹介 - (2000.4.20.収録)

今ブラジルと言えば CASCAVEL と ASPA FC の遠征旅行を思い浮かべる読者の方も多いだろう。しかし、本号から数回のスポット連載で紹介する「ブラジル旅行記」はそれとは全く異なる視点でブラジルの今を捉えたルポだ。日本サッカー協会公認準指導員という筆者が見た草の根ブラジルフットサル(サッカー)事情。フットサルを通して見た生のブラジルを感じて頂きたい!!

藤沢市サッカー協会フットサル委員会 小野直樹

<リオデジャネイロ編 -1>

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第2回 アポ無しブラジル紀行・サンパウロ編-2

フットサルネットには12年間の歴史があります。09年4月にリニューアルしましたが、まだまだ過去記事の新サイトへの取り込むが完了していません。そこで、これから毎週末にいくつかの記事を紹介しながら、順次新サイト取り込みをやっていこう、とそういう企画です。週末にゆっくりと当時を振り返ってお楽しみください!尚、旧記事内の肩書き等は全て執筆当時のものをそのまま使用しております。

- 連載の紹介 - (2000.4.20.収録)

今ブラジルと言えば CASCAVEL と ASPA FC の遠征旅行を思い浮かべる読者の方も多いだろう。しかし、本号から数回のスポット連載で紹介する「ブラジル旅行記」はそれとは全く異なる視点でブラジルの今を捉えたルポだ。日本サッカー協会公認準指導員という筆者が見た草の根ブラジルフットサル(サッカー)事情。フットサルを通して見た生のブラジルを感じて頂きたい!!

藤沢市サッカー協会フットサル委員会 小野直樹

<フットサルはどこに?サンパウロ編 -2>

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第1回 アポ無しブラジル紀行・サンパウロ編-1

フットサルネットには12年間の歴史があります。09年4月にリニューアルしたが、まだまだ過去記事の新サイトへの取り込むが完了していません。そこで、これから毎週末にいくつかの記事を紹介しながら、順次新サイト取り込みをやっていこう、とそういう企画です。週末にゆっくりと当時を振り返ってお楽しみください!尚、旧記事内の肩書き等は全て執筆当時のものをそのまま使用しております。

- 連載の紹介 - (2000.4.20.収録)

今ブラジルと言えば CASCAVEL と ASPA FC の遠征旅行を思い浮かべる読者の方も多いだろう。しかし、本号から数回のスポット連載で紹介する「ブラジル旅行記」はそれとは全く異なる視点でブラジルの今を捉えたルポだ。日本サッカー協会公認準指導員という筆者が見た草の根ブラジルフットサル(サッカー)事情。フットサルを通して見た生のブラジルを感じて頂きたい!!

藤沢市サッカー協会フットサル委員会 小野直樹

<フットサルはどこに?サンパウロ編 -1>

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第15回全国フットサル大会観戦レポート!

5月3日(祝)、4日(祝)に沼津市民体育館(静岡県)において開催された「第15回全国選抜フットサル大会」を観戦した。

結果を見ればわかるように、奇しくも1位から3位までを地域の選抜チームが占めた。

日本フットサル連盟が主催した「選抜フットサル大会」にもかかわらず、選抜を送り込んだ地域は関東と北海道の2地域のみだった。選抜を選考し練習してさらに大会に送り込むには、人とお金がかかる。つまり、選抜を送り込めた地域と送り込めなかった地域には、そういうものを用意できるできないの違いがあるといえるのではないか。

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行ってきました神田サッカーナイト!テーマは「日進月歩!フットサル界の仕掛け人に聞く」 (3/3)

フットサルの歴史について、私がメモした限りではこんな内容のお話をして頂いた。

次に、現在大塚さんが監督をやってるエスポルチについてもいろいろお話をうかがった。

エスポルチ藤沢を知らない人に少し補足すると、今年の全日本選手権準優勝チームである「AZUL」のメンバーをそのまま吸収し、そこに数名の補強を 行った、という感じのチームだ。本拠地も山梨から神奈川に移し、名称も「エスポルチ藤沢」とした。

自他共に認める全国レベルの強豪チームだ。先日のニッサンカップ神奈川県予選で、私の所属するチーム「Friends」はこのチームに敗れた。そん な話も含めてお話を聞くことが出来た。

このエスポルチは、ミズノフットサルクラブ藤沢で、エスポルチ藤沢サッカー教室を発足した。これは以前フットサルクラブ横浜でやっていたフットサル スクールよりも大規模で、本格的なフットサルクラブチームを狙ったもののようだ。コーチとして元ヴェルディの広山選手が紹介されおり、子どもから大人まで 生涯スポーツとしてのフットサルをなんとか浸透させようという狙いのようだ。(詳しい情報は後日公開予定)

トップチームは全日本選手権で上位に入ることで、下部組織にカリスマを与え、クラブの求心力みたいなものを作りたいとも考えているようだ。うーむ、 なるほど本当はそうやってクラブってものは形成されているものなのかもしれない。いきなり「プロサッカーチームですよ。応援して下さい」ではないのか も。。

エスポルチは府中水元やファイルフォックスといった強豪と毎週のように一緒に練習しており、さらに、先日も2名ほどブラジル修行へ送り込んだりもし ているそうだ。その成果をまたチームにフィードバックして、さらに上のレベルを目指しているとのこと。たまには我々のチームにもフィードバックして欲しい ものである。

これだけハイレベルな選手を揃えながら、さらに貪欲にトレーニングを積んでいるのだ。

水元なんかは、試合のデータをコンピュータ分析しているそうで、失点時のパターンや得点時のパターン、そのときのメンツなどをデータ化しているそう だ。どういう風にデータ化して利用しているのかノウハウを知りたいものだ。

そんな話の流れで、ブラジルのフットサルについてちょっとお話があった。
ブラジルでのフットサルは、「まずシュート力ありき」だそうだ。強くて正確なシュート力なくして戦術・戦略は有り得ないということらしい。かの地では、 シュート力の無い選手はシュートを打たされてしまう。強いシュートがあって、相手DFがそれを怖がるからこそ次の戦術があるのだと。あの神様ジーコもフッ トサルの時には「ガンガンシュート打ちまくり」だったそうである。

エスポの練習もその半分がシュート練習だそうだ。見ている周りの人は「そんなことして楽しいの?」とか聞かれるほどだとか。それから、修行に行った エスポの選手は「止める蹴るがぜんぜん出来てない」と言われてしまうらしい。恐るべき修羅の国ブラジル!!
(修行じゃなくて、視察ツアーになら行ってみたいなあ。)

この時、既に店の営業時間をとっくに過ぎていて、みんな店外に追い出された。店を出るとそこは駅構内なわけだが、そこでまた立ち話が始まった。ブラ ジルのフットサルのことや、日本選手の問題点などいろいろお話して頂いた。

時間は既に11時半。なんと4時間半にわたって話しをしてしまいました。最後はみんな少しアルコールも入っていたので、異常な盛り上がりを見せてい た。
大塚さんはノーギャラなのに沢山の面白い話しをして下さった。こんな話しならば2千円くらい払っても聞きたい内容だ。今こういう情報を持っている人は少な い。本出したら1000部くらいは売れると思う。(え?それじゃ少ないって)

そして、帰り際に浜村さんに、「これ読んで下さい。いろんな出版社に持ち込んだんですが、ダメでした。」といわれ、フランスW杯の珍道中の手記を渡 された。帰りの電車でそれを読みながら「これは雑誌には載せられないかなあ。。。」とつぶやいてしまいました。ボランティアの服を着、ボランティアを装っ てタダで競技場に入る話しや、警察に捕まる話しや、ゲートを超えてスタジアムに入る話しなどヤバそうな行為の羅列。ちょっと大きな出版社には手が出ないだ ろういう内容だったが、ある意味大変勉強になった。

私にとって神田サッカーナイトは初めての体験だったが、いつもそうなのかわからないが、大変密度の濃い・刺激的な時間を過ごすことが出来た。大塚さ んの企画力と行動力の凄さ、浜村さんの強い個性、、、それから現在のフットサルを取り巻くいろいろな現実的な問題。。。今までただの1プレーヤーという視 点でしか見れていなかったことを痛感した。もちろん、今後も1プレーヤーでしか無いわけだが、ボランティアで頑張る大塚さんや浜村さんのようなパワフルな 人々が、日本のサッカー文化を形成するキーマンになっていくような気がした。現在定職を持たない浜村さんには今後も是非定職などには就かないで、枠に捕ら われないで引っ掻き回して面白いことを仕掛けて頂きたいと、そう痛感した。

今度はより多くのサッカープレーヤー得にチーム運営者を集めて、フットサルについてのお話を大塚さんにして頂いたらどうだろう。まだまだフットサル は「サッカーの下」という位置付けだ。前回ニッサンカップのマリノスの選手を見ればそれはよおくわかる。そういう色メガネをとってもらいたい。そして、 11人制サッカーの運営に行き詰まった運営者にフットサルの利点を聞いてもらいたい。

そんなことを考えさせられたサッカーナイトだった。

ということで、サッカーナイト報告を終わります。
書いたこと以外にも沢山面白い話しはありますので、それはまたいつか。。

行ってきました神田サッカーナイト!テーマは「日進月歩!フットサル界の仕掛け人に聞く」 (2/3)

大塚さんが食べている間、参加者の自己紹介タイムとなった。
この参加者の方々の構成が今のフットサルを取り巻く状況を如実に表しているように感じた。

まず、これからフットサルをビジネスにしたいと考えている現役会社社長が2名。フットサルコート運営の採算性やノウハウについて聞きたかったよう だ。あと、なんとかっていうサポーターを題材にした本を出版した方。(本の題名忘れましたが、結構書店には出ています。)あとフットサルに興味があるとい うサラリーマンの方と学生の方が1名。そして、私と西山と主催者の浜村さん。つまり、フットサルをバリバリやってますよ、というのは私と西山(?)くらい のものだった。プレーヤーの参加が少なかったことをどう分析するか。。。

浜村さんもフットサルはプレーヤーとしてはあまりやらないようで、もっぱら11人制をやっているそうだ。

次に、フットサル暦20年の大塚さんは、日本ではほとんど知られていないフットサルの歴史についてとうとうとお話して下さった。FIFAとフットサ ルの関わり、フットサルとPenaltyという企業の関わりなど。それから、80年代に盛んに行われていたサロンフットボールについて興味深いお話を沢山 して頂いた。

80年代、日本でも一部の人々の間ではサロンフットボールが盛んに行われていたそうだ。1980年くらいには日本サロンフットボール普及委員会とい うのが発足していて、そこの札幌大学のシバタ教授という人が日本でのサロン普及のためにブラジルへ渡り、マリーニョやマルコ中林といった選手を引っ張って 来たそうだ。マリーニョってサロンフットボールで引っ張られてきた人だったんだあ。

この時代、西ドイツのブンデスリーガもお休み中には、冬季サロンフットボールリーグがあったり、日本リーグでもサロン大会が開催されていたそうだ。 当時小学生の私はそんなことひとつも知らなかった。確かにネルソン吉村のサロンフットボール教室に行ったことはあったが、それがこういうサロンフットボー ル普及の流れの中での出来事だったなんて、幼く無垢な私にはわからなかった。

そんな状況の中、1982年にはFIFUSA(世界サロンフットボール協会)主催で第一回サロンフットボール世界選手権がブラジルで開かれた。 FIFUSAというのは、当時FIFA会長であったアベランジュが、「サッカーとサロンフットボールは別のスポーツだ」という考えでFIFAとは別組織と して発足した。

なんとこの大会に日本選抜も出場していたようだ。メンバーは大学生中心だったようだ。

サロンフットボールではスライディングあり、スローインありのルールだったそうで、今でもスペインのプロリーグはそういうルールだそうだ。

このころの日本は、というと1983年2月には千葉にて関東社会人サロン大会が、沼津では日本サッカー協会主催のサロンフットボール選抜大会が開催 されたそうだ。選抜大会とはいっても、出たい人なら誰でも出れた。この大会は今でも続いており、しっかり選抜大会としてエスポルチ藤沢や水元等が呼ばれて 試合をやっているようだ。

第一回から3年毎に世界選手権は開催された。第2回の1985年はスペイン、第3回の1988年はオーストラリアでそれぞれ行われた。このころから 急速に世界的に普及してきたサロンフットボールを再びFIFAの元に戻したいアベランジュと渡すまいとするFIFUSAは対立するようになったらしい。そ して、FIFAは1988年にオーストラリアで開かれたサロンフットボール世界選手権にぶつけて第一回「ファイブ・アサイド」という別のサロンフットボー ル世界大会を開催してしまったのだ。そのとき日本から北澤や黒崎といった当時の日本リーグのホンダの選手が送り込まれたそうだ。

この時から、FIFAは、「サロンやった選手は、サッカー協会から除名する」という驚くべき方針を打ち出した。当時普及したとはいってもナンバーワ ンスポーツであるサッカーに対抗しうる勢力ではないサロンフットボールそしてFIFUSAは、窮地に追い込まれます。主要国はサッカー選手をサロンの大会 に送ることが難しくなった。
しかし、日本サッカー協会は、サロンの大会にサッカー選手を送り続けたそうだ。サロンの世界大会に参加するときだけはサッカー協会から除名し、戻ってきた ら復活させていたらしい。結構柔軟に対応していたようだ。というより、FIFAにとって日本サッカー協会がどんな対応とろうと眼中になかったのかもしれな いけど。。。

しかし、1991年の第四回イタリア大会あたりからFIFAの締め付けがさらに厳しくなる。方針に背いた場合には、厳しいペナルティを与えると言い 出したのだ。
そしてこの年に新しいサロンフットボールの名称として「FUTSAL」が採用された。FIFAは全世界に「サロンフットボールという名称を使用してはなら ない。FUTSALと呼びなさい」と一方的に宣言。世界中のサッカー協会に通知・徹底をもくろんだ。
この91年のイタリア大会には、大塚さんもスタッフとして参加していたそうだ。(す、凄すぎる)まさに生き字引だ。

このころから日本でも、蘆花公園やスポーツコネクション(TFCのこと)でフットサルコートが出来たようだ。
スポーツコネクション(以下スポコネ)は、もともと高島屋の顧客を中心にした富裕層を対象として高級スポーツクラブだった。テニスコートをつぶしてフット サルに手を染めたのが運の尽き。集まってくる若人達は、スポコネを愛用する富裕層とは全く異なる荒くれ者(実はサロメもそこにいたのだ)。スポコネは慌て て閉鎖しようとしたがそうもいかず、温泉を掘りあてたのを機に、TFCを閉鎖したようなのだ。

私はサロメチールとして、96年、Friendsとして97年のあわせて2年間TFCに毎月通った。ここで知らないチームとのフットサル対戦の味を 覚え、優勝の味も覚えた。ここの優勝商品である山中湖スポーツセンターの宿泊券が、のちにAZUL(今のエスポルチ)に出会うきっかけを作ってくれた。

96年の初期には、フットサルでの利用でも通常のスポコネ会員と同じようにクラブハウスを利用することが出来た。ここのクラブハウスは凄くて、でっ かい風呂までついていて、よく考えれば我々にはもったいない装備だったのだ。そんなある日、更衣室の壁に「通路に座り込まないで下さい。」とか「荷物を通 路に放置しないでください」などの張り紙がされるようになったのだ。それから数ヶ月後、我々の更衣室は別の場所に移された。そしてそこにはでっかい風呂も でっかい鏡も、ひろーい更衣室も、そう、なにもかも無くなっていた。やっぱり、フットサルをやる槽ってのはお客さんとして扱いにくいのかあ、と思ったりも した。基本的にお金たくさん持ってる人たちがやるっていう感じもあんまりないし。。。

その後の日本では、フットサルはかなり認知されるようになった。東京圏に限っていえば、専用コートの数もかなりのものだ。サッカーコートを押えるよ りも、(お金はかかるけど)フットサルコートを押えるほうが簡単かもしれない。

全日本選手権も今度で第4回を数えるようになってますます底辺が広がることが期待されている。

世界でもフットサル世界選手権が行われていて、プロリーグもあるらしいから市民権を得ているともいえよう

行ってきました神田サッカーナイト!テーマは「日進月歩!フットサル界の仕掛け人に聞く」 (1/3)

去る1998年12月3日、私は友人である西山と二人してJR神田駅構内の喫茶店「エリゼ」というどっからどうみても怪しいとこに夜7時 に到着した。この喫茶店は神田という超都心にありながら、JR小海線の駅構内といった趣を漂わせる霊界スポットともいえそうな場所である。

駅構内からさらに地下に下りるとそのお店はあるわけだが、いきなりメガネをかけたお兄さんに「サッカーナイトならこっちです」と声を掛けられた。こ の人がサッカーナイトの主催者である浜村さんであった。

「神田サッカーナイト」とはこの浜村さんが手掛けるサッカー座談会(というとカッコ悪いなあ)というか、情報を共有したり交換するサッカーすきが集 まる一種のサロンだと思ってもらえばいいでしょうか。詳しい情報はこちらへ。

薄暗いオレンジ色の店内でひときわ怪しいビロードのカーテンの向こう に、数人のサラリーマン風の人が座っていた。カーテンの向こうは個室になっていて、20人くらいは座れるようなスペースがある。我々はベージュのつんつる てんのソファに腰掛けた。
まだゲストである大塚さんは現れておらず、個室内は知らない者同士がいきなり同席させられた不思議な雰囲気にあふれてた。

しかし、そんな雰囲気を一気に浜村さんが吹き飛ばした。大塚さんが遅れている理由や、御自身で発行している情報誌「サポティスタ」について一方的に 我々にまくしたてた。
(サポティスタって知ってます?Jや代表の試合見に行くとスタジアム周辺で配っているミニコミ誌です。インターネットで も見れます。)

そうこうしているうちにゲストの大塚さんが登場した。
このエリゼというお店は2時間にワンオーダーすれば、それ以外一切干渉なし、という今時場末のカラオケボックスでもやらないような無放任主義で、大塚さん はいきなり「カツカレー」を頼んだ。その他の参加者の方も各自飲み物・食べ物を勝手にオーダーした。

ここから記述されている内容は、あくまで大塚さんの話を聞いた山戸がまと めたものであり、大塚さんがお話した内容そのものではな いことをご理解頂きたい。内容に不明な点や不正確な点が あった場合、それは全て山戸の責任であり、間違っても大塚さんには責任はありません。

その辺を十二分にご理解頂いて、以下のレポートをお読み下さい。

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