フットサルネットについて

フットサルネットは、1996年末にオープンした、日本で最古のフットサル情報サイトです。

フットサルネットが提供するのものは以下となります。

  • 競技情報!:フットサルネットが最も重要視するコンテンツです。
    • Fリーグのレポートをほぼ毎節お送りします!
    • 日本代表の試合をほぼ全てレポートします!
    • 全日本選手権をレポートします!
    • 注目の大会には記者が飛んでいきレポートします!
  • 地域情報!
    • 大会開催情報、個人参加情報、クリニック情報をお届けします!
    • 2009年4月リニューアルで新しく取り込んだ情報です!
    • 都県リーグや選手権予選のレポートをお届けします!
    • 新しい施設情報やショップ情報をお届けします!
    • 個人参加などのコミュニティを提供します!

フットサルネットは、広告収入と協賛収入で成り立っています。

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<フットサルネットの歴史>

○1996年

管理人が主宰するフットサルチームを紹介するページとして立ち上げる。その際、発足間も無いYahoo!Japanのディレクトリサービスに登録申請。当時は現在主流のロボットによる、サイトの自動登録ではなく、カテゴリごとに申請されたサイトを手動で(!)登録するディレクトリサービスだった。

申請が受領されて、反映されるようになるが、当時Yahoo!で「フットサル」を検索すると3件しかヒットしなかった。インターネット利用者もフットサルを知る人もまだまだ少ない時代だった。

(ネット回線も、電話回線でモデム経由でつないでいた。ISDNもない。夜11時以降から繋ぎ放題になるテレホーダイもまだなかったはずだ)

主なコンテンツは大会参加記録。メンバーの誰が点を取ったとか、誰の食欲が異常だったとか、この大会業者はダメだとか、書きたいことを思うように書いていた。

○1997年

リクルートから出ていた「あちゃら」というネットを紹介する雑誌の6月号と7月号に、オープンしてから初めてメディアに取り上げていただいた。

いきなり(当たり前だが)編集部から連絡があり、「チームの練習風景を撮影してお話を」ということで、フットサルクラブ横浜で実施することに。当日は雨の中、編集部側のダミーチームと試合しているかのような模様を撮影。6月号にはサイトの紹介、7月号には写真入りで紹介いただいた。

アクセス数が増加したという記憶はない(泣)

また、この年の2月に行われた第2回全日本選手権(当時NISSAN CUP)のテレビ中継を見たレポートを実施。世界初のネット上の全日本選手権レポートだろう(!)。

そしてこの年、サポティスタが主催する「神田サッカーナイト」のフットサルの現状についてお話を聞く会に参加し、当時のエスポルチ藤沢監督の大塚氏と知り合いになり、競技フットサルについてより深い知見を得ることとなる。

○1998年

この年に行われた第3回全日本選手権は、自身も選手権の県予選に参戦するようになり、その参戦記をメインにして関東大会や全国大会のレポートを充実していく。

有明アリーナで行われた全国大会は、横浜マリノスが参戦し、甲斐修司率いるAzulや藤井健太率いるルネス学園などが登場し、大いにフットサルにはまる種が体の中に植え込まれることになる。

大会の模様は全試合とはいかないが、かなりの幅でレポートを実施するようになる。
(独りで・・・涙)

○1999年

第4回全日本選手権は、FIRE FOXの登場で大いに盛り上がった。神奈川県予選、東京都予選、関東地区予選、そして全国大会全てをレポート。この段階でも、雑誌を含めて選手権の模様をレポートするものは何もなかった。

また、この年にブラジル全国リーグを制覇したアトレティコ・ミネイロが来日。ジーコフットサルクラブの発足のための来日で、CASCAVELとFIRE FOXの連合軍と、日系ブラジル人チームと対戦して圧倒的な強さで勝利。

このときの模様は、レセプションパーティから全試合レポートまで全てを網羅した。

ちなみに、エキシビジョンマッチには管理人も参加。オスカーマジキナチームでピッチにたった。

さらにこの年、木暮氏、大塚氏、中村恭平氏らとフットサルオープンランキングを立ち上げることになり、一時期はランキング利用者は1万名を越える人気コンテンツとなる。

○2000年

FIRE FOX、エスポルチ藤沢、ASPA FCといった競技フットサルチームが次々に現れる状況で、フットサル日本代表が、グアテマラの世界選手権出場を目指してタイのバンコクでアジア予選を戦った。しかし結果は準決勝敗退。

勝てば本戦出場のかかる3位決定戦ではタイに敗れ夢も破れた。

この時には既にフットサル専門誌ピヴォが創刊されており、その模様を「バンコクの悲劇」と呼んだ。

日本サッカー協会が代表としてしっかりとバックアップしている今と異なり、合宿なども体育館を転々とするような、そういう状況だった。

だから今思えば、彼らのプレー環境を考えると長い合宿生活の末に疲れ果てて散った感があり、それほど悲劇じゃなかったような気もする。でも勝てると思ってたのに勝てなかったわけだから、選手や関係者はなんとかしたい!とこう思ったわけだ。

そこで、スーパーリーグを独自に設立して、よりハイレベルで見てもらえるフットサルをしよう!と始まったわけである。

○2001年

もうとにかくスーパーリーグ中心の日々。コンテンツもスーパーリーグの模様をとにかく伝えた。

オフィシャルサイトの運営も同時に行っていた。

このころ、日刊編集センター社がフットサルコンテンツに興味を持ち、フットサルサイトを立ち上げた。今のライター田畑氏を輩出することになる。 

この年、スーパーリーグは、毎日新聞社から「フットサルのすすめ」というムックを出版。フットサルの認知度を上げるためにネットTVでの中継やビデオの販売などを次々に仕掛けた。

○2002年

この年、フットサルネット神奈川という地域限定サイトをオープン。現在の地域情報の基礎となる。

○2003年?

また後日・・・