【日本代表・第1回アジア選手権】 第6回現地レポート
フットサルネットには12年間の歴史があります。09年4月にリニューアルしましたが、まだまだ過去記事の新サイトへの取り込みが完了していません。そこで、これから毎週末にいくつかの記事を紹介しながら、順次新サイト取り込みをやっていこう、とそういう企画です。週末にゆっくりと当時を振り返ってお楽しみください!尚、旧記事内の肩書き等は全て執筆当時のものをそのまま使用しております。

開催期間:1999年3月5日-3月10日
開催地:マレーシア・クアラルンプール「スタジアム・ネガラ」
最終結果
優勝・イラン
準優勝・韓国
3位・カザフスタン
4位・日本
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第1回アジアフットサル選手権は、イランの圧勝で幕を閉じた。準決勝で我が日本はこのイランと激突!2対5で敗れた。 「シティボーイ対 ソルジャー」とたとえられたこの試合。 我がFUTSALNET O特派員は、スポンサーも無い状態で現地マレーシアに潜入!現地でしか得られない情報を交えた日本で最もディープ(?)なレポートを紹介しよう。 |
<現地レポート第6回 by 現地・大塚特派員>
救世主
初日の全試合を観戦した後、次の日本戦までペナン島に出かけた。
ペナン島では、島で最高級ホテルのスウィートルームと、江ノ島以上、熱海以下の透明度の海を楽しんだ。そして念願だった赤色のトロピカルジュースを飲み、サッカーで元ペナン代表だったというビーチボーイの"ロイ"と白い砂浜でサッカーを堪能した。
3月8日、日本の予選最終戦であるウズベキスタン戦が行われる。早朝の便で、ペナンからクアラルンプールに戻り、イラン対韓国の一戦見るべく、空港からStadiumへ直行した。そして、あのイランチームを初めて目にした。
その後、その一戦の衝撃を引きずりながら、インド人街でこの旅最低の昼食となったミーゴレンを味わい、夕方再度Stadiumへと足を運んだ。
ウズベキスタン戦は、開始早々30秒程度で先制された。日本ゴール前でマークにつく上村をうまく抑えながらの、一瞬の隙をついたシュートだった。上村のマークが甘かったわけではない。敵が上手すぎた感じだ。
1点を先制したウズベキスタンは、決して無理に攻めてこない。日本がハーフラインから前に来ないと見るや、自陣ゴール前でのんびり球回しを続ける。そして攻める際も深追いはしない。日本にボールを奪われると、すぐさま自陣に戻り、じっくり耐えるのだ。徹底している。
こんな状況がしばらく続いたが、前半も半ばに差し掛かりマリーニョが動いた。先発の相根、上村に代え、原田、市原を投入した。
2人とも指示が出ていたのだろう。コートに飛び出すやいなや、今までより5m以上前線で、プレッシャーをかけはじめた。そして、物静かだったコートと観客席は、一気に活気を帯びていった。
試合はマリーニョの思惑どおり、原田、市原2人の投入で、完全に日本のペースとなり、ボールを支配する日本に対し、ウズベキスタンがカウンターを仕掛ける場面が多くなった。
しかし、日本は数あったチャンスを生かせず、0-1とリードされた状態で後半に突入することになった。この試合日本は引き分け以上が必要だった。負ければもう先はなかった。
後半ウズベキスタンのキックオフとともに、藤井、相根が猛然とボールを奪いにかかり、壮絶な点の奪い合いが幕を開けた。
1点をコーナーキックから奪われ0-2と苦しくなった後、藤井がPKをゴール左に叩き込み、日本の反撃は始まった。
市原が、相根とのポストプレーで同点とし勢いをつけ、その後、相根、市原、中村、藤井の4人がコートを自由に動き回った。
その後日本の速いテンポについていけなくなったウズベキスタンは、キーパーがゴール前で市原を倒しPKを与え、日本に逆転を許した。しかしながら日本の時間帯も長くは続かなかった。速攻、第二PK、鋭いパス回しで一気に3点を奪われ、残り時間7分で、3-5と後がなくなった。
そんな中でも、相根、市原2人は、2戦目のカザフスタン戦後半に引き続き好調を維持していた。特に市原が入るとリズムが良くなり、小気味良いパスが回りだすとともに、得点を予感させた。
更に、他のチームメイトとの相性が良いのも彼の特徴のようだ。今年のニッサンカップで「フットサル名人」と某テレビ局から称され、FIREFOXを日本一に導いた上村は、他のメンバーとの連携に苦慮し、試合中何度となく指示を出すシーンが緒戦から続いていた。しかし市原とのコンビは何故かスムーズに感じるのだ。そして、それを証明するかのように、市原からのパスを豪快に蹴り込み1点差まで詰め寄った。
日本にはもう1点が必要だった。
そして残り時間3分をきった頃、相根から出たボールを、ゴール前ポストに入っていた市原が、足裏でピシリと止め、すばやく敵をかわし、日本を決勝トーナメントへ導いた。
彼は、この試合4点に絡む大活躍で、まさに日本の救世主となった。
(つづく)





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