[4月18日水曜日。神奈川県某所にて]
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このたびは日記を一時的に中断させてしまい、申し訳ありません。僕の最愛の母親が亡くなったため、一時帰国をしました。
この世にこんなに辛いと思うことが他にあるだろうかと思うほどに悲しいことでした。
今の僕に人としての生き方を教えてくれたのは母親でした。
すぐには切り換えるのはなかなか難しいとは思いますが、ブラジルで一日でも早く活躍することが、母親が一番望むことだと思うので、帰国する前よりもさらに気持ちを入れて頑張っていこうと思いますので、また応援よろしくお願いします。
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<会見を終えて:フットサルネット山戸>
4月18日水曜日、故郷である大阪から甲斐修侍が帰京した。
最愛の母親の容態が急変した4月初め。一報を耳にした甲斐は、チーム関係者の奔走もあって4月2日〈月)に急遽帰国した。それからこの日までずっと大阪、京都に滞在していた。
「こんなに辛いことはなかった」いつも強気の甲斐修侍の口からそんな言葉が出た。ブラジル行きの直前に会ってから2ヶ月ほど。身体が細くなっているのは、ブラジルでのトレーニングのためだけではないようだった。「凄く食欲のある時と無い時の揺れが大きいんです」そう元気無く語った。
甲斐修侍には2人の姉と1人の兄がいる。末っ子の彼が母親の寵愛を一番受けてきたことは想像に難くない。
今年2月。甲斐は選手権で優勝を飾るとすぐさま大阪に戻っていた。母親を見舞うためだ。
病床に臥せっている母にブラジル行きを告げる時ほど辛いことはなかったという。
半年間帰らないことは遂に告げられなかった・・
そんな母親を大阪に残し、甲斐は3月にブラジルに旅たった。身重の妻も日本に残した。彼がブラジル行き当初にかかった重度のホームシックにはそんなわけがあった。自身の母親と妻。不安を抱える二人を残して挑戦しているブラジルのプロの世界。
彼は自身の中におけるその挑戦の意味や重さについて我々に語ったことはない。しかし、その行動が全てを語る。
本当はもっと実家に残り、落胆する父親をサポートするつもりでいた彼だが、「ブラジルに行って頑張って来い。お母さんもそれを一番望んでいる」そう逆に励まされた。
彼は既にブラジル行きの準備を始めている。
私は最後まで彼に「頑張って下さい」とは言えなかった。彼の眼はこれまで見たことが無い程の悲しさと虚しさをたたえていた。
しかし日本一のフットサルファイターはきっと復活した姿を我々に見せてくれるだろう。その日まで日本から静かにエールを送り続けようと思う。
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